やっとわかった「手放す」ということ

やっとわかった「 手放す 」ということ

こんにちは、Ryokoです。

最近、少しまとまった時間ができました。

せっかくできた、しばしの自由時間。やりたくてもなかなかできなかったことを全部やろうと、張り切って臨みました。

そして発見したのは、当初予想していたものとは違う、でも、ずっと知りたかった「手放す」ことについて。

今回の記事では、私自身がようやく腑に落ちた「手放す」ことと、その先に見たものを、シェアできればと思います。


あれもこれもやりたい、時間ができたら。

毎日毎日一定時間働くという生活をしていると、知らず知らずのうちに、時間に追われてしまうもの。

やりたいことはいろいろあるけど、時間が無いし、疲れているしと、なかなかできずにいる人は多いのではないでしょうか。

私自身まったくその通りで、時間に追われているつもりなんて毛頭なかったにもかかわらず、気づけば“やりたいけどやれてないリスト”が大量になっていました。

そこで、この休みで一気にやり切ろうと、決意。

心の声に従って、今やりたいことをする

まとまった休みとは言え、ほんの数週間。

心身ともにリラックス&リフレッシュすることを最優先にしたかったので、身体が疲れるような旅行は、無しにしました。

やりたいと思ったら今日できること、を中心に、ただただ毎朝、今日は何したいか、と自分に問いかけ、それをやる。

ダラダラしたい時はダラダラし、テキパキ動きたいときは動く。

心の赴くままに動いたり動かなかったりすることが、これほどにストレスフリーな精神状態を作るとは、想像以上でした。

それがまず最初の、発見。

毎日働くって、本当に大変なことだったんですね。

気が付いて、気が済んで、見えてきたもの

そうしているうちに気が付いたのは、やりたいことリストに載せてはいるものの、いざとなると、絶対やりたいわけではないことが案外多い、ということでした。

そして、それほどやりたいことでもなかった、と気が付いたら、驚くほどすっきり、リストから消すことができました。

この時に浮かんだのが「執着を手放す」という言葉。

自己啓発系の本を読んでいると必ず出てくる言葉ですが、わかるようで、なかなかピンと来ていなかったんです。

そもそも、自分が何かに執着しているのかどうかすら、わからず。

でも、ずっとやりたいことリストに載っていたことが、実はそうでもなかったと気づいた時、自分の中で、なんとなく、腑に落ちる感覚がありました。

絶対これがやりたいんだと思い込んでいて、でもそれは思い込み(執着)だったと気付いて、リストから消す(手放す)ことができた、という流れ。

違ったらごめんなさいですが、私なりの解釈が、それでした。

手放した後、リストに残ったやりたいことは、わりと少し。

それらをやっていく中で、さらに手放しは進みました。

例えば、長年リストに載っていた“毎日、昼間にダンスレッスンを受ける”という願い。

実際毎日レッスンを受けてみて、芽生えたのは、気が済んだ、という感覚でした。

私にとって最も効率的なレッスン頻度は毎日ではなく週3回ぐらいかも、と気が付いたのです。

いっぽうで、昼間にレッスンを受けたいという気持ちは、ますます大きくなりました。

なので、「毎日、昼間にダンスレッスンを受ける」を「週3回、昼間にダンスレッスンを受ける」に変更。

もうひとつ、“毎日丁寧に、美味しい晩ごはんを作る”という願いにも、気づきがありました。

こちらも、実は毎日なんて全然やりたくなかったと気が付いたのです。丁寧に作りたいときに作りたいだけ、と。

でも、毎日家族で楽しく美味しいものを食べたいという願いが確かであることは、再発見しました。

なので「毎日丁寧に、美味しい晩ごはんを作る」から「毎日家族で楽しく美味しいものを食べる」に変更です。

本当にやりたいことは、実はもうやっていた

気が付いて、気が済んで、一気に解消できた、やりたいのにできない!というくすぶった思い。

残ったものは、実はもう、やっていたことでした。

その本当にやりたいことの質を上げていくことが、これからの、やりたいこと。

やりたいことリストが急に、整理され、次のフェーズへと進みました。

手放せば、得られる。まさに、それです。

幸せな自分が、基本。

ちなみに、「あなたはもう充分幸せ。もう全部持っている」というのも、自己啓発系の本によく出てくる言葉です。

こちらもようやく、納得できました。

日々の忙しさやストレスは、思いのほか心を曇らせていて、無いもの、できていないものしか見えなくさせているようです。

その曇りをいったん剥がしてみると、やりたいことをちゃんとできている幸せな自分が、そこにいました。

それが基本の私の姿だと、感じることができました。

まとめ:気が付けば、気が済めば、手放せる。

今日は、私自身がやっと腑に落ちた、手放すということ、そして、手放せたことによって気付いたことを、ご紹介しました。

よく耳にする、手放す大切さ。

私にとってはずっと、わかるようで、わからなかった、感覚です。

必要なのは、自分に問いかけ続けること。

別にやらなくても(なくても)いいという返事が返ってきたときに、「嘘だ!やりたい(欲しい)よね?ね?」と、否定してかからないこと。

ただ、心に従うこと。

やりたいことをやったら、振り返り、どうだった?とまた自分の心に聞いてみること。

そうすることで、気が付いたり、気が済んだりして、手放せることが、格段に増えました。

そして、手放した先には、ちゃんともうやりたいことをやっている幸せな自分がいました。

今回、たっぷり時間があったから、一連のプロセスを踏めたのかもしれません。

忙しい日々に戻った時、また、“やりたいこともろくにできていない不幸な私”が襲ってくる可能性は、けっこう大です。

でも、それは、日々のストレスの仕業。

中核には幸せな自分がいると知っていれば、そこに戻ることは、知らなかった時ほど難しくない気がしています。

短い時間でそこに戻れるようになる練習が、必要かもしれませんけどね。

また手放し迷子になった時の自分自身へのメッセージとしても、今回感じたことをまとめてみました。

同じように感じている方に、何かヒントになれば、嬉しいです。

今回も、最後までお付き合いいただきありがとうございました。

それでは、また次回。

Ryoko



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