こんにちは、Ryokoです。
最近、そのままの自分を受け入れるということについて、考えています。
若いころのようにはいかないいろいろを感じ始め、若干絶望に似た気持ちになっている自分に気づいたことが、きっかけでした。
100歳前後まで生きている(生きた)方々の本を読み、自然と感じたことは、変わってしまったことや、失ってしまったことばかりに注目して暮らすには、もしかしたらまだ、残りの人生は長すぎるかもしれないということ。
ふと、これから人生の第二幕が始まる、そんな時期なんだという意識が芽生えました。
今回は、そんな気づきを、シェアできればと思います。
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老いが現実味を帯びるとき
老いを感じ始める年齢は、人それぞれのようです。
101歳まで生きられた、家事評論家で随筆家の吉沢久子さんは、60代で五十肩になったのが、老いの始まりだったと書かれていました。
俳優の大泉洋さんは、50歳の誕生日が来ると同時に五十肩になると冗談交じりにテレビで語られていました。
私個人的には、かろうじてまだ五十肩にはまだなっていませんが、ここ2年ほど、急激に老いを実感しています。
鏡や写真に写る姿にもう若いころの面影はなく、見たくもないと思ってしまう日々。
すぐに風邪ひくし、怪我するし。
もちろん、治るまでには異様に時間がかかり、怪我にはもれなく後遺症がついてきます。
いったいどうした?!って言いたくなります。
太ってきた、肌のハリがなくなってきたと騒いでいた30代の私に、その100倍の速さで日に日に老いていく時が来るよと、知らせてあげたい気分。
(10年後の私は、今の私に、いや200倍だよと言ってるのでしょうか。)
太っても、肌が衰えても、30代はなんだかんだ言って、まだ若かったんですよね。
40代で、確実に、老いの扉が開きました。
大病を患ったわけでもなく、言ってみれば、ただの老い。
でも、これがやっぱり、たかが老い、されど老いなんです。
なかなかに、ツラい。
身体の衰えは、メンタルにも確実にくるもので、こんな姿になってしまって、これからどうやって生きていくんだろうなんて、驚くほどネガティブな自分に出会うことも増えていました。
このままでは良くないなぁと思っていた時に、偶然、ご高齢の方々が書かれた本に、目が留まりました。
吉沢久子さんの著書
何人かの本を読みましたが、その中で、いちばんすっと心に届き、今、夢中で読んでいるのが、101歳まで生きられた、家事評論家の吉沢久子さんの本です。
特別、教えのようなことが書かれているわけではないんです。
ご高齢の著者が、何を考えて、何を楽しみに今を生きているかということが、淡々と書かれているものが多く、人生のずっと前を歩いている方の暮らし方をそっと見せていただいているような気持ちになれます。
今の自分で、ここからスタート
残念ながら、多少ダイエットをしてみたところで、スキンケアを頑張ってみたところで、もう、若き良き自分は戻ってこないんですよね。
いちど怪我をしてしまうと、後遺症や傷跡が残り、それと共に生きていくしかないことも、認めたくないけど、わかります。
これから第2、第3の老いの扉も開くことでしょう。
残された人生が長いのか、短いのかはわかりませんが、戻れないあの頃にしがみついて、絶望しながら暮らしていくのは、自分がかわいそうな気がしました。
人生のずっと前を歩まれた方の本を読み、まだほんの少しではありますが、老いてきたここから始まる人生への希望も、湧き始めています。
心身ともに日々老いていく自分に耐えられず、やけくそ気味になっていたときに、偶然目に留まった吉沢久子さんの本。
私にとってはちょうど、人生の後半戦について考えるべき時だったのかもしれません。
まとめ:変わってしまった自分を受け入れるのはツラい。でも受け入れないともっとしんどい。
今日は、変わってしまった自分を受け入れることについて、私なりに感じていることを、その気持ちにさせてくれた本とともに、ご紹介しました。
こんなに急に、老いに直面する時がくるなんて、ほんの数年前まで思いもしませんでした。
思っていたよりも、急に、あからさまに、襲ってくる現実。
この思いをせずに過ごしていけるなら、ラッキーです。
でも、誰にでも、起こるかもしれず、起こらないかもしれず。
受け入れるのは、かなりツラいです。
でも、過去の自分にしがみつき、今の自分を否定して暮らしていく人生は、もっとしんどそうな気がしませんか。
あまりにも、自分がかわいそうな気がします。
こと容姿に関しては、心無いことを言ってくる人もいます。でも自分が自分に心無いことを言うのは、やっぱり、かわいそう。
今の自分から始まる人生の第二幕、五十肩と同時に本格的に始まるその日まで、少しの夢と希望を持って、シナリオを詰めてみようかなと思っています。
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今回も、最後までお付き合いいただきありがとうございました。
それでは、また次回。
Ryoko
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